のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

お金と私。

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7月分の給料明細。
10万の位の数字が初めて変わっていた。

 

素直に嬉しいし、ありがたい。

 

でもきっと、昔の私なら違ったと思う。
嬉しさや感謝の前に、申し訳なさや後ろめたさを感じていたと思う。

 

 


「お金」

 


それは私にとって、1番苦手なもの。

 

今だって決して余裕のある生活ではないし、
育った家庭も裕福というでわけはなかったから、なんとなく両親がお金のことで困っているのは子どもながらに感じていた。
両親はそれを見せないようにしてくれていたけれど、むしろそれが逆にお金に対してのよくないイメージを増長したのかもしれない。

 


「お金は、なくなるもの」
「お金は、ないと恥ずかしいもの」
「お金は・・・苦手なもの」

 


気が付いたときには、もうそんなイメージが出来上がっていた。

 


「お金が欲しい」と思うことすら、なんだか浅ましいというか、恥ずかしいことのように思ってしまうようになっていた。

 

そうは言ってもお金は必要で、必死に稼ごうとした時期もあった。
けど、「何が何でもいいから、稼ぐ」そのモチベでは私は動けなかった。

やっぱりそこには、後ろめたさやネガティブなイメージがつきまとっていたから。

 

だから、稼ぐことはもちろん、
お金の呪縛から自由にはなれないんだと、
心のどこかで諦めてしまっていたのかもしれない。

 

そして、もっともっと「お金が嫌い」になった。

 

 

けれど今、毎月ちゃんとしたお給料を貰えているし、
素直に、もっと稼いでいきたいとも思う。

 

そんな風に私を変えてくれたのは、やっぱり『感謝』。

 

毎日、本当にたくさんの人のおかげでこうして過ごすことができていて、これまで生きてきた時間を振り返れば、とてつもない数の「ありがとう」を見つけることができる。

 

返しても、返しきれない「ありがとう」に溢れた世界で生きている。

 

だから「ありがとう」を返すために働いて、
その中でまた誰かに「ありがとう」を感じながら、
お金として姿を変えた「ありがとう」を受けとって、

 

それをまた「ありがとう」を返すために使っていきたいと思った。

 


そして、もっとたくさんの「ありがとう」を返すために
もっとたくさんのお金を稼ぎたい。

 

そこに後ろめたさは、全くない。

 

 

「ありがとう」を返すために、
「ありがとう」を感じながら、

 

自分にできることや得意なことで「ありがとう」を返していきたい。

 


相手や形は変わっても
私たちをつなぐのは「ありがとう」なんじゃないかなと思う。

 

もしそんな風に「ありがとう」で、この世界が繋がっているとしたら
すごく素敵だと思うから、私はそう思うことにしている。

 

私はそんな世界に生きているから、
もうお金は怖くない。

 

むしろ「ありがとう」を返すための、大切なツールの1つなんだ。

 

 

そうだ、今日はみんなに何か差し入れを買っていこう。
日頃の「ありがとう」を込めて。