のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

バカは一生、治らない。

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「Malinaさんみたいになりたいです!」

なんとなく捨てられなくて、今でも実家の自分の部屋に飾ったままになっている中学の頃にもらった色紙には、そんな言葉が並んでいる。
中学時代は表か裏かで言えば、私にとって明らかに表舞台にいた時代だった。


生徒会役員、部活ではキャプテン、成績も常に3位以内で、通知表もオール5。
女としてというよりは、人としてのモテ期だった。周りには常に人がいて、後輩たちからは毎日のように「好きです!」と言われるような日々だった。
そんな日々があの色紙には詰まっていた。



誰かに必要とされ、憧れられるのは、嬉しかったし、悪い気はしなかった。
もちろん、それだけ目立てば、それをよく思わない人たちもいたけれど、
当時の私はただの「バカ」だったから、何も気にしていなかった。


誰かに悪く言われようと、誰かに好きだと言われようと、
正直、どうでもよくて、ただただ自分の思うままに生きていた。
やりたいから、やる。ただそれだけだった。


たぶん、そんな姿が「バカ」じゃない、色々なことを考えられる人たちには、かっこよく見えたり、疎ましく感じたりしたんだろうなと、今は思う。



いくつか小さな事件はあったのだけれど、バカな私はまったく気にも留めず、相変わらず無意識に、表舞台を生きていた。
けれど、とうとう中3の2学期に、痛い目をみることになる。
といっても、よくあるいじめのターゲットになっただけなのだけれど。


けれど、それまで自分を称賛する人ばかりが周りにいることが当たり前だった私にとって、敵意に満ち溢れた視線や言葉は十分すぎる衝撃だった。
一気に変わってしまった世界に、私は戸惑い、ついていくのに必死だった。


そこでようやく、世界には「常識」や「ルール」と呼ばれる誰かがつくった正解があることを知った。
みんなそれを守ろうと必死に生きているのだということも。
そしてもし、それを破れば白い目で見られてしまうという怖さも。



あのとき知ってしまったその怖さと、誰かの正解を生きようとする生き方の生きづらさにずっと挟まれてきた。
あの頃のように表舞台で生きる生き方に憧れながらも、そこに上がる怖さに怯えながら、どうすることもできず、いつのまにか15年が経っていた。

 


バカじゃなくなってしまったから、もう知らなかった頃には戻れない。
けど、誰かの正解を生きていると窒息してしまいそうになる。



じゃあ、いったい私は、どう生きていけばいいんだろう。



そんな自問自答を繰り返してきた15年。
ようやく納得する答えが見つかったような気がする。



表か裏か、白か黒か。
そんなことは、どうでもいいんだ。


もうバカにも戻れないし、誰かの正解を生きることもできない。
そんな自分を認めたうえで、好きなように生きていけばいい。


インスタ映えの世界を、スポットライトを浴びながら表舞台で生きていく人。
そんなことには目もくれず、自分の信念だけを貫き通す人。


どっちにも憧れるけど、残念ながら私は、どっちにもなれない。


時には、インスタ映えの世界に顔を出してみたり、時には、自分の信念を貫いてみたり。そんな風に中途半端な、グレーな生き方が人間らしいというか、私らしい気がする。

どっちかにいる必要なんてない。

 


表でも、裏でも、好きなときに、好きなところに、いればいい。
バカじゃなくなった気がしていたけれど、やっぱり難しいことは考えたくないし、器用になんて生きられないから、もう好きなように生きてみようと思う。


痛みを知って、怖さを覚えたけど、
やっぱりバカは一生、治らないみたいだ。