のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

勝手に生きる。

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「やってあげている」

 

私の生活は日々、本当にこいつとの闘いだ。
遠い昔、1つの部屋に2人で暮らしていたとき、自分の中に住みついたこの存在に気が付くことができていれば、もしかしたら今は変わっていたのかな。なんてことを考えたりもするけれど、私以外誰もいない部屋でこうしてパソコンに向かっている私には、ただの思い出話にすぎない。

 

それでも毎日、毎日、こいつと戦っている。

 

 

beingbe.hatenablog.com

 

その証拠にほんの少し前にも、こんな記事を書いている。

 

塾講師という仕事は、ある種の人気商売だと思っていて、
授業はもちろん、性格、実績、見た目、ときには性別なんてものまでが仕事に影響を与える。

 

だからこそ、選ばれないということも日常茶飯事なわけで、それゆえに対抗心や独占欲もよく顔を出す。

 

「負けたくない」「自分を選んでほしい」そんな想いが生まれるのは当然だと思っていて、別に悪いことでもないと思う。
けれど、そこにあいつが絡んできてしまうと一気に状況は悪化する。

 


『こんなにやってあげているのに』

 


少しでもそう思ってしまえば、気持ちは一瞬にして濁ってしまう。

 


つい先日も、そんな風に濁った想いを持て余していた。
けれど、ふと気づいた。

 

『仕事だからやっているんじゃない。
 やりたいから、好きだから、仕事にしたんだ』

 

人に教えるのが好きで、わからないことをわかりやすくするのが好きで、
人が自分の人生を生きていくためのサポートがしたいと思って、

この道を選んだ。

 


つまりは、全て私の都合。

それをやる機会を毎日与えてくれている会社。
それを受けとってくれるだけでなく、色んな気付きを与えてくれる生徒。

 

感謝はしても、何かを求めるのは違う気がした。
責めるなんて、もってのほか。

 

だって、全て私が勝手にやっているんだから。

 


そう思うと随分と長い間、持て余していた「やってあげている」という感情が急にバカバカしく思えた。

 

やりたいこと、好きなことを、私が勝手にやってるだけなんだ。
だからただ、勝手にやり続ければいい。

 

そうやって勝手ができることに感謝しながら、
自己満、おせっかい、上等で。

 


今はまだぴんと来ないけれど、それができるようになったとき、この部屋に誰かがいるなんて日がやってくるのかもしれない。