のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

「やっぱりね」

読み終わった直後の感想は「やっぱりね」だった。


こうなることは、読む前からなんとなくわかっていた。
たまたまテレビでこの本が発売されることを知ったとき、大方の予想はついていた。だからなのか「よし、買いに行こう」とは、ならなかった。
けれどずっと、読む前から、頭の片隅に住みついていた本だった。

 


『ナナメの夕暮れ』若林正恭

正直に言って、彼の熱烈なファンでもなんでもない。テレビでよく見かけるなという人。その程度の認識。けれど、初めて見た時からずっと「たぶん、この人、腹の底になにかすごいもの抱えてるだろうな」なんて、偉そうに思ったことだけは覚えている。

そんな彼の書く言葉に出会ったのは『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』という本をたまたま本屋で見つけたとき。
その独特なタイトルに引きつけられて開いたまえがきのページに並んでいた彼の言葉に、こんな表現はおこがましいけれど、なんとなく仲間意識を覚えたから。そこから少し、彼という人間に、いや彼の書く言葉に興味を持ち始めた。

興味を持ったあの日から、いつのまにか月日は流れ、相変わらず彼のことは「テレビでよく見かける人」のままだった。何度も読もうと思ったあの本も、結局まえがきから進むことなく、本棚の隅にポツンと置かれたまま。
基本的に本は直感で買う性格だから、買った本はよっぽどのことがない限り、その日に読み終えてしまう。じゃないと私の中での鮮度が落ちて、たちまちただの紙の束になってしまうから。だから、その時点で特別だったのかもしれない。

話はこの本『ナナメの夕暮れ』の発売を知る少し前に戻る。

私のこじらせ人生が始まったのは、おそらく約15年前。
短いスカートで、制服に似合わないばっさばっさの睫毛と真っ赤なリップで、バスの最後尾を陣取り、大きな声で男の話をし続ける中学の同級生たちも、はたまた教室で参考書を読み漁り模試の結果ばかり意気揚々と話す高校のクラスの男子たちも、自分たちの保身しか考えていない教師という大人たちに、常にイラつき、彼らを見下し、ときには"生きづらい"悲劇のヒロインを演じながら、なんとか自分を保っていた。

 

大学受験にも失敗し、ぽっかり空いた穴を埋めるためだけに恋愛をし、就職する気にもなれず大学院に進学し、ふらふらと今の職場にたどり着いた。いつも世界をナナメから見ていたし、とにかくいつもイライラしていた。いくつ歳を重ねようと、誰かを見下し、ときには悲劇のヒロインを演じ、いつも何かに怯えながら生きてきた。

そんな風にとにかく"生きづらさ"を拗らせ続けてきた私も、色んな痛い目を見て、色んな出会いのおかげで、20代最後の夏にようやく1つの決断をすることができた。

  

beingbe.hatenablog.com

 

そんな劣等感からずっと「最高」の人生を生きたいと思ってきたけれど、それが自分に向いていないということをようやく、認めることができた。それから生きるのがずっと楽になった。
もちろん、あっち側の世界が羨ましくなることや、やっぱりイラつくことはあるけれど、それでもそんな毎日が愛しい。

なんとか死ぬまでに、そういう人間になりたいと願ってきた。
だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めた。
諦めたし、飽きた。

それが不思議なことに、「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことをたぐり寄せた。

『ナナメの夕暮れ』まえがき より


そして、なんとなく今がタイミングかなと思って手に取った本の冒頭にはこう書いてあった。

「やっぱりね」

そうつぶやいた私の心は軽かった。