ぼやけた世界
初めて眼鏡をかけたのは、小学3年のとき。
ちょうど同じタイミングで眼鏡をかけることになった友達がいて、二人で別の教室に行かされ、「お披露目会」なんてことをさせられたっけ。
未だにその意図はわからないけれど、そういえばまだ、子供の眼鏡が珍しかった時代。
急に眼鏡をかけて、からかわれないようにという担任からの配慮だったのかもしれない。変わり者だったけど、憎めない人だったし。元気にしてるかな。
そして、コンタクトデビューをしたのが中学1年。
そのときの視力がいくらくらいだったか、もう覚えていないけれど、眼鏡のレンズは順調に分厚くなっていたし、たぶん、かなり悪かったんだと思う。
中学時代、バレー部に入っていた私は、ボールの見えなさよりも、眼鏡の邪魔さが嫌でずっと眼鏡を外して部活をしていた。
だから私の目に映るボールは、いつもぼやけていて、何重にもなって見えるし、私からすれば、毎回が魔球だった。
それでもなんとかやっていけたのは、両親譲りの運動神経のおかげか、セッターというポジションのおかげか。たぶん、その両方だったんだろう。
「いやー、よくこれでやってこれたなあ」
部活中、必死に目を細めて焦点を合わす私を見かねた顧問に連れていかれた眼科のおじいちゃん先生は、驚いていたのか、呆れていたのかわからないような調子でそう言っていた。
そんなこんなで、無事、コンタクトデビュー。
文字通り、世界は変わった。
それまでは見えないことが当たり前だったのに、見える世界を知り、さらにそれが当たり前になった私は、”見えない”ことに何よりも不安を覚えるようになっていった。
現実世界も、未来も。
目の調子が悪くてコンタクトが入れられなくて、眼鏡で外に出かけることがたまにある。
コンタクト中心の生活になってから、眼鏡の度数調整に行ってないということもあって、眼鏡だとコンタクト装着時より少し、視力が下がる。
そして、それにたまらなく不安を覚えるのだ。
いつもと同じ道、
いつもと同じ職場、
いつもと同じ同僚、
いつもと同じ生徒なのに、
ほんの少しの視力の差が私を不安にさせる。
何か自分に見えてないものがこの人たちには見えているんじゃないか。自分に見えないところで何かしているんじゃないか。そう不安になる。
そうやって"見えない"ことに怯えた私は、あまり人と関わらないようにする。自分の殻に閉じこもるんだ。
書きながら、くだらないなと思うけれど、本人はいたって真剣なのだ。
そして、そのくだらない不安は、目を治してコンタクトをつければ簡単に解決するのだけれ、解決できないこともある。
それは、未来への不安。
見えることが当たり前になり、"見えない"ことが不安で仕方ない私は、未来が見えないことにいつも不安を覚える。
自分で選んだ道とはいえ、
このままで、大丈夫なのだろうか。
お金は、足りるのだろうか。
結婚はするのか。
親はいつまで生きてくれるのか。
私の人生はいつ、終わるのか。
そんな"見えない"不安がなんの前触れもなく、押し寄せてくることがある。
もう少し小さなものでいえば「どうしたいのか」わからないだけでも不安になる。
自分の未来が描けない、見えないことが、たまらなく怖い。
「やりたいことリスト」や「未来日記」なんて名前のついたカラフルな手帳に、スワロフスキーのキラキラ光るボールペンで書かれた、誰かのおしゃれな未来が、さらにその不安に拍車をかけていく。
未来を描ける人が羨ましかった。
私も未来が見える人になりたかった。
だから、無理に描こうとしてきた。
でも、無理だった。
なんとなくは描けるのだけど、明確な未来は何度ノートに書いても描けなかった。
何もつけていない私の目に映る世界のように。
どんなに目を細めても、ぼやけた世界しか、見えなかった。
それが嫌で、不安で、情けなかった時期もあったけれど、今は少し違う。
どう頑張っても1度失った視力は回復しないし、これが私の見える世界だから。
ぼやけたこの未来を、ビビりながらでも、手探りで、進んでいくしかないんだと思う。
それに、ぼやけた世界も悪くない。
いつかのドラマで誰かが言っていた。
「目のいい人には見えない夜空が、私には見えるんだ」
バカは一生、治らない。
「Malinaさんみたいになりたいです!」
なんとなく捨てられなくて、今でも実家の自分の部屋に飾ったままになっている中学の頃にもらった色紙には、そんな言葉が並んでいる。
中学時代は表か裏かで言えば、私にとって明らかに表舞台にいた時代だった。
生徒会役員、部活ではキャプテン、成績も常に3位以内で、通知表もオール5。
女としてというよりは、人としてのモテ期だった。周りには常に人がいて、後輩たちからは毎日のように「好きです!」と言われるような日々だった。
そんな日々があの色紙には詰まっていた。
誰かに必要とされ、憧れられるのは、嬉しかったし、悪い気はしなかった。
もちろん、それだけ目立てば、それをよく思わない人たちもいたけれど、
当時の私はただの「バカ」だったから、何も気にしていなかった。
誰かに悪く言われようと、誰かに好きだと言われようと、
正直、どうでもよくて、ただただ自分の思うままに生きていた。
やりたいから、やる。ただそれだけだった。
たぶん、そんな姿が「バカ」じゃない、色々なことを考えられる人たちには、かっこよく見えたり、疎ましく感じたりしたんだろうなと、今は思う。
いくつか小さな事件はあったのだけれど、バカな私はまったく気にも留めず、相変わらず無意識に、表舞台を生きていた。
けれど、とうとう中3の2学期に、痛い目をみることになる。
といっても、よくあるいじめのターゲットになっただけなのだけれど。
けれど、それまで自分を称賛する人ばかりが周りにいることが当たり前だった私にとって、敵意に満ち溢れた視線や言葉は十分すぎる衝撃だった。
一気に変わってしまった世界に、私は戸惑い、ついていくのに必死だった。
そこでようやく、世界には「常識」や「ルール」と呼ばれる誰かがつくった正解があることを知った。
みんなそれを守ろうと必死に生きているのだということも。
そしてもし、それを破れば白い目で見られてしまうという怖さも。
あのとき知ってしまったその怖さと、誰かの正解を生きようとする生き方の生きづらさにずっと挟まれてきた。
あの頃のように表舞台で生きる生き方に憧れながらも、そこに上がる怖さに怯えながら、どうすることもできず、いつのまにか15年が経っていた。
バカじゃなくなってしまったから、もう知らなかった頃には戻れない。
けど、誰かの正解を生きていると窒息してしまいそうになる。
じゃあ、いったい私は、どう生きていけばいいんだろう。
そんな自問自答を繰り返してきた15年。
ようやく納得する答えが見つかったような気がする。
表か裏か、白か黒か。
そんなことは、どうでもいいんだ。
もうバカにも戻れないし、誰かの正解を生きることもできない。
そんな自分を認めたうえで、好きなように生きていけばいい。
インスタ映えの世界を、スポットライトを浴びながら表舞台で生きていく人。
そんなことには目もくれず、自分の信念だけを貫き通す人。
どっちにも憧れるけど、残念ながら私は、どっちにもなれない。
時には、インスタ映えの世界に顔を出してみたり、時には、自分の信念を貫いてみたり。そんな風に中途半端な、グレーな生き方が人間らしいというか、私らしい気がする。
どっちかにいる必要なんてない。
表でも、裏でも、好きなときに、好きなところに、いればいい。
バカじゃなくなった気がしていたけれど、やっぱり難しいことは考えたくないし、器用になんて生きられないから、もう好きなように生きてみようと思う。
痛みを知って、怖さを覚えたけど、
やっぱりバカは一生、治らないみたいだ。
「やっぱりね」
読み終わった直後の感想は「やっぱりね」だった。
こうなることは、読む前からなんとなくわかっていた。
たまたまテレビでこの本が発売されることを知ったとき、大方の予想はついていた。だからなのか「よし、買いに行こう」とは、ならなかった。
けれどずっと、読む前から、頭の片隅に住みついていた本だった。
正直に言って、彼の熱烈なファンでもなんでもない。テレビでよく見かけるなという人。その程度の認識。けれど、初めて見た時からずっと「たぶん、この人、腹の底になにかすごいもの抱えてるだろうな」なんて、偉そうに思ったことだけは覚えている。
そんな彼の書く言葉に出会ったのは『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』という本をたまたま本屋で見つけたとき。
その独特なタイトルに引きつけられて開いたまえがきのページに並んでいた彼の言葉に、こんな表現はおこがましいけれど、なんとなく仲間意識を覚えたから。そこから少し、彼という人間に、いや彼の書く言葉に興味を持ち始めた。
興味を持ったあの日から、いつのまにか月日は流れ、相変わらず彼のことは「テレビでよく見かける人」のままだった。何度も読もうと思ったあの本も、結局まえがきから進むことなく、本棚の隅にポツンと置かれたまま。
基本的に本は直感で買う性格だから、買った本はよっぽどのことがない限り、その日に読み終えてしまう。じゃないと私の中での鮮度が落ちて、たちまちただの紙の束になってしまうから。だから、その時点で特別だったのかもしれない。
話はこの本『ナナメの夕暮れ』の発売を知る少し前に戻る。
私のこじらせ人生が始まったのは、おそらく約15年前。
短いスカートで、制服に似合わないばっさばっさの睫毛と真っ赤なリップで、バスの最後尾を陣取り、大きな声で男の話をし続ける中学の同級生たちも、はたまた教室で参考書を読み漁り模試の結果ばかり意気揚々と話す高校のクラスの男子たちも、自分たちの保身しか考えていない教師という大人たちに、常にイラつき、彼らを見下し、ときには"生きづらい"悲劇のヒロインを演じながら、なんとか自分を保っていた。
大学受験にも失敗し、ぽっかり空いた穴を埋めるためだけに恋愛をし、就職する気にもなれず大学院に進学し、ふらふらと今の職場にたどり着いた。いつも世界をナナメから見ていたし、とにかくいつもイライラしていた。いくつ歳を重ねようと、誰かを見下し、ときには悲劇のヒロインを演じ、いつも何かに怯えながら生きてきた。
そんな風にとにかく"生きづらさ"を拗らせ続けてきた私も、色んな痛い目を見て、色んな出会いのおかげで、20代最後の夏にようやく1つの決断をすることができた。
そんな劣等感からずっと「最高」の人生を生きたいと思ってきたけれど、それが自分に向いていないということをようやく、認めることができた。それから生きるのがずっと楽になった。
もちろん、あっち側の世界が羨ましくなることや、やっぱりイラつくことはあるけれど、それでもそんな毎日が愛しい。
なんとか死ぬまでに、そういう人間になりたいと願ってきた。
だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めた。
諦めたし、飽きた。
それが不思議なことに、「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことをたぐり寄せた。
『ナナメの夕暮れ』まえがき より
そして、なんとなく今がタイミングかなと思って手に取った本の冒頭にはこう書いてあった。
「やっぱりね」
そうつぶやいた私の心は軽かった。
勝手に生きる。
「やってあげている」
私の生活は日々、本当にこいつとの闘いだ。
遠い昔、1つの部屋に2人で暮らしていたとき、自分の中に住みついたこの存在に気が付くことができていれば、もしかしたら今は変わっていたのかな。なんてことを考えたりもするけれど、私以外誰もいない部屋でこうしてパソコンに向かっている私には、ただの思い出話にすぎない。
それでも毎日、毎日、こいつと戦っている。
その証拠にほんの少し前にも、こんな記事を書いている。
塾講師という仕事は、ある種の人気商売だと思っていて、
授業はもちろん、性格、実績、見た目、ときには性別なんてものまでが仕事に影響を与える。
だからこそ、選ばれないということも日常茶飯事なわけで、それゆえに対抗心や独占欲もよく顔を出す。
「負けたくない」「自分を選んでほしい」そんな想いが生まれるのは当然だと思っていて、別に悪いことでもないと思う。
けれど、そこにあいつが絡んできてしまうと一気に状況は悪化する。
『こんなにやってあげているのに』
少しでもそう思ってしまえば、気持ちは一瞬にして濁ってしまう。
つい先日も、そんな風に濁った想いを持て余していた。
けれど、ふと気づいた。
『仕事だからやっているんじゃない。
やりたいから、好きだから、仕事にしたんだ』
人に教えるのが好きで、わからないことをわかりやすくするのが好きで、
人が自分の人生を生きていくためのサポートがしたいと思って、
この道を選んだ。
つまりは、全て私の都合。
それをやる機会を毎日与えてくれている会社。
それを受けとってくれるだけでなく、色んな気付きを与えてくれる生徒。
感謝はしても、何かを求めるのは違う気がした。
責めるなんて、もってのほか。
だって、全て私が勝手にやっているんだから。
そう思うと随分と長い間、持て余していた「やってあげている」という感情が急にバカバカしく思えた。
やりたいこと、好きなことを、私が勝手にやってるだけなんだ。
だからただ、勝手にやり続ければいい。
そうやって勝手ができることに感謝しながら、
自己満、おせっかい、上等で。
今はまだぴんと来ないけれど、それができるようになったとき、この部屋に誰かがいるなんて日がやってくるのかもしれない。
後悔も、失敗も、したくない。
「この道を選んだ後に、やっぱりあの道を選べばよかった…そんな風に後悔したくなくて」
「でも、逆のことも言えるんですよね」
そう言いながら、頭を抱える一人の高3生。
センター試験まで残り4か月を切ったこの時期、毎年生徒たちの心は揺れる。伸び悩む成績への不安、さらにそこに学校からの推薦という選択肢の提案。つまり、第一志望を変えるか、変えないかの選択を迫られる。
目の前にいる18歳の少女も、その決断を迫られている一人だ。
推薦を受けた場合のメリット、デメリット。
一般を選んだ場合のメリット、デメリット。
学校の先生の意見、親の意見、塾の先生の意見。
自分のこれまでの成績。
自分を取り巻くあらゆる情報と、それぞれへ感じている迷いを話してくれる。
抱え込んでいたもの一通り吐き出した後、彼女はぽつりとつぶやいた。
「私、どうしたらいいんですかね」
彼女の話は、主語がすべて他人だった。
「先生は~」「親は~」そればかりで、
自分がどうしたいのかという話は一つもなかった。
とても素直な子なんだと思う。周りの大人の意見にしっかりと耳を傾け、感謝し、それに応えようとする。けれど、だからこそ、自分の意見を見失いやすい。
そのことを伝えた後、私から1つだけ提案をした。
「『どうしたらいいか』というより、
『自分がどうしたいか』をまず考えてみたらどうかな?」
「それにね、どの道を選んでも、自分次第でなんとでもなるから」
そして、少しだけ、自分自身の大学受験の話をした。
センター試験で失敗して、絶対に行きたくなかった地元の私大に行くしかなかったこと。
それが最初はいやでいやで仕方なかったこと。
けど、腐ってても仕方ないと思いなおして、それから色々動き始めたこと。
「もちろん、後悔がないと言えば嘘になる。けど、今はあそこに入ってよかったと思ってるよ。たぶんだからこそ今、私は塾にいて、こうしてみんなと面談をしてるんだと思う」
そう伝えると、ほんの少し、彼女の顔から力が抜けたような気がした。
そしてちょうどその夜、見ていたドラマにこんなセリフがあった。
大切なのは、どんな選択をするかじゃない。
自分が選んだ人生を強く生きるか。
ただそれだけだ。
私だって彼女と同じだ。
後悔も、失敗も、したくない。
こうして生徒たちの心に踏み込む度、
生徒たちの人生を変えてしまうかもしれないという怖さや
選択によっては、保護者からクレームがあるかもしれないという怖さが
いつも頭の片隅にある。
けれど、それと同時に
生徒たちの無限の可能性とその手助けができることが
すごく楽しい。
彼女がどんな選択をしてきたとしても、私がやることはただ一つ。
「彼女が必死に考えて、選んだその道を強く生きていけるようにサポートし続けること」
ただそれだけなんだと思う。
秋に、なりたい。
日中の気温はまだ高めで、少し汗ばんだりもするけれど、それでも通り抜けていく風に秋の気配を感じるようになった。
暑いとも、寒いとも、言えない季節。
通り抜けていく風も、涼しかったり、少し肌寒かったり。
決まった言葉で形容するのが難しい。
その存在を感じられるのも、長かったり、短かったりと、毎年違う。
けれど、毎年必ずやってくる季節。
一見、中途半端に思えるけれど、それでも、きちんとそこに存在している。
そんな秋が「今年は」好き。
昔は夏が好きだったし、空気がきれいな冬や、穏やかな陽気の春が好きだったときもある。だから来年はどうなっているかなんて、わからないけれど、もし誰かに好きな季節を聞かれたら、とりあえず「今年は」秋が好きだと言うことにしよう。
何かに縛られることなく、自由に振る舞いながら、いろんな表情を見せてくれる。そして、人の心をほんの少し、ほっとさせてくれる。
そんな秋のように生きてみたいと思った。
いつまで続くかわからないけれど、それが今の私のありたい姿。
「死」の向こう側
"「死」は、悲しむべきもの"
たぶん私には、その感覚が欠落している。
私が初めて「死」というものを身近に感じたのは、小学4年のとき。
母方の祖父の死だった。
あの日のことは今でもはっきりと覚えている。
そろそろ寝ようかという頃、病院から危篤の連絡が入り、取り乱す母をなだめながら、出先にいた父と合流した。病院へと向かう車の中に充満する母親の動揺。その重苦しさにつぶされそうになりながら、私はずっと窓の外を見ていた。
そしてようやく病院に着き、もう冷たくなってしまった祖父にすがりつきながら、まるで子どものように声をあげて号泣している、そんな初めて見る母の姿を、私は病室の入り口から、ただぼんやりと眺めていた。
もちろん、祖父のことは大好きだった。
口数は少なかったが、時々見せる祖父の笑った顔が大好きで、闘病中のやせ細った祖父の姿を見るのは辛かった。はやく元の祖父に戻ってほしいと心から願っていた。
けど、祖父が旅立ったあの日。
結局、私は一度も泣けなかった。
「あぁ、そっか。じいちゃん、死んじゃったんだ」
ただ、そう思っただけだった。
それから、恋人が亡くなったと知ったときも、
高校の同級生が急に事故で亡くなったと連絡を受けたときも、
父方の祖父母が亡くなったときも、
小学校の恩師が亡くなったと知ったときも、
私はいつも、涙を流し、悲しむ人たちをただ、眺めるだけだった。
「死」そのものというより、そんな人たちの姿に胸を痛めただけだった。
もちろん、大切な人たちには長く生きてほしい。
けれど、いざその時が来てしまえば、きっと私はまた同じように、悲しむ人たちを眺ながら、ただそこに立っているのだと思う。
そんな私でも小さい頃は、死ぬのが怖いと母親に泣きついたことがある。
今でも母はそのときのことをはっきり覚えているという。
そして、どう言葉をかければいいのかわからなかったと。
いま考えてみれば、きっとそれは死が必ず来るものだとわかっていたから、
だから、怖かったのかもしれない。
どんなに医療が進歩しようとも、「死」は必ず訪れるもの。
だからこそ、怯え、悲しみ続けていても仕方ない。受け入れるしかないことなのだと、私は思う。
それに、私は死からたくさんのことを学んできた。
祖父の死では、母親の弱さを知り、
恋人の死からは、自分の弱さ、そして愛を知った。
同級生の死で、今が当たり前でないことに気付いた。
父方の祖父母の死からは、生きることの意味を考えた。
そして、恩師の死は、私にとっての「死」を考えるきっかけになった。
きっとこれからも、私はそうやって生きていくしかないのだと思う。
そんな人とは違う「死」の向こう側を感じながら、私自身に、その日が訪れるまで。