のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

届けたい言葉

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「ありがとう」

 

― それは、あまりに綺麗すぎて、私には不釣り合いすぎる言葉だ。

 

 

 

授業後や
少し遅くまで残って仕事をした日
誰かの仕事を手伝ったとき
生徒と面談を終えたとき

 

色んな場面でその言葉をもらう。
けれど、そのたびに私はたまらなく居心地の悪さを感じる。

 


授業も、仕事も、面談も、私にとっては当たり前のことで
何より、その対価としてお金もきちんともらっている。
それに、別にそんなに大したことをしていないのに・・・。

 

誰かがその言葉を私にくれる度、そんな想いが私の脳内を占拠する。

 

一方、そんな私の目の前にあるのは何の混じりけもない
感謝に満ちたあまりに綺麗すぎる言葉だった。

 

そのギャップに、たまらなく居心地の悪さを感じては
つい、苦笑いをしてしまう。

 


そんなだから、いざ自分が使う側に回っても
私なんかが使ってはいけないような気がして、飲み込んでしまう。

 

 

言われれば嬉しいし、
言いたいと思うことは多々あったのに、

 

言われるのも、言うのも、苦手な言葉だった。

 


綺麗すぎて、受けとることも使うこともできなかったその言葉。

 


いつの間にか、1番身近な言葉になっていた。
それから色んなことがどんどん上手くいき始めて、
きっとこれからも上手くいく気がしている。

 

これまで数えきれないくらい
自分を、人生を、変えたくて
色んなことをやってきたけれど

 

結局、変えてくれたのは、いつも"言葉"だった。

 

 

だから私は言葉に惹かれるし、
これまでたくさんの人たちがくれた私に言葉がそうだったように

 

誰かのきっかけになれるような言葉を届けられる
そんな人でありたいと思う。

 

 

そんなことを、昨日の上司からのLINEに書かれてあった
「ありがとう」の文字をみて、ふと思い出していた。

 

 

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