「厳しい現実」に直面したときこそ、『自分が本当にどうしたいか』を考える
― 80問中、20問。
お世辞にもよくできているとは言えない正答率のプリントを眺めながら、参ったな、とつい声が出てしまう。
昨日、提出自由にしている英文法の宿題を採点していたときのこと。
もちろん、まだ完璧とは言えないにしろ、解き方やミスの仕方が少しずつ変わってきている。高校3年生から受験生へと変わっていく、生徒たちの変化を感じ嬉しくなっていたところにやってきたのが、これ。
「あまりに、ひどすぎる」
この生徒のプリントから、これから先できるようになっていくであろう可能性は、ほぼ感じられなかった。
他の生徒のものは、すらすらと書けた正答率の隣に書いている一言。なんと書けばいいのか、しばらくペンを握ったまま、頭の中で浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく言葉の波に圧倒されていた。
"ここから、どうするかだね"
このまま行けば、この生徒はきっと変われない。だからこそ、はっきりと厳しい言葉を書くべきか迷ったけれど、それでも最終的に私はそう記した。
ここからどうするかを決めるのは、私の役目ではないと思ったから。
これまで200人以上の高3生たちを見てきて、思うのは、
模試や面談で厳しい現実を突きつけられたときこそ、
『自分が本当にどうしたいのか』を、問う必要があるということ。
厳しい現実を突きつけられたとき、大半の高校生はその現実から目を背けようとする。それは彼らが幼いとか、弱いというわけではなく、周囲が「がんばるよな?」と、プレッシャーをかけすぎるからだと、私は思う。
そもそも本人たちは、そんなこと言われなくたってがんばろうと思っているのに、そこに他人が変に追い打ちをかけるから、さほど大きくなかったはずの現実がとんでもなく大きいものに感じてまうようになる。そして、そんな現実に押しつぶされないように、無計画に自分を追い込んだり、言い訳をしたり、自暴自棄になったりしてしまう。
「どうすべきか」よりもまず、自分は『どうしたいのか』
いま目の前にある厳しい現実を、自分が描く理想の未来にしていくためには、それ相応の努力が必須。今よりも頑張れば変えられるし、頑張らなければ変えられない。
だからこそ、『これ以上頑張れない』と思うのなら、理想を下げればいい。『それでも諦めたくない』と思うのなら、もがけばいい。
それを決めるのは、他の誰でもない。
だって、自分の人生だから。自分で選んだ道こそが、正解だもの。
きっと、あの一言だけでは、生徒には伝わらないだろう。
それでもまずは、自分で考えるということをしてみてほしいから。
ひとまずは、見守っていようと思う。