のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

授業嫌いの塾講師

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「ただ授業に参加するだけなら、何の意味もないよ」

 


夏期講習4日目。
連日の暑さに加え、学校での補習、そして塾での夏期講習。
生徒たちにも疲れと気の緩みが見え始める。

 

そして、それは私たちも同じ。

 

 

昨日、集団授業の最後に言い放った言葉を思い出す。

 

「だから、集団授業は嫌なんだよ・・・」

 

 

前日の授業の様子を見て、内容や伝え方を変えていきながら、常にその日自分のできる100%の授業をしようと心がけている。生徒たちには、5日間で少しでも多くのことを得てほしい。少しでも自信になってほしい。

 

だからこそ、集中していない気の緩んだ姿を見ると、悲しさや虚しさより先に苛立ちがきてしまう。

 


「こっちはこんなにやってるのに・・・」

 


それが"善意の押し売り"や"勝手な期待"だとわかっている。そして、それが人をコントロールしようとする思考になり、最終的に思い通りに動かない相手に苛立ちを覚えるようになるということも。

 

何を感じようと生徒たちの自由。けれど「授業」しかも、集団授業という形、そして何より「講師」という立場上、居眠りや別のことをするのを許すわけにはいかない。主導権や強制力が求められる場だから。でも、生徒たちの個性を生かしたい。強制に頼りたくはない。

 

その狭間でいつも、私は頭を抱えてしまう。
そして、いつもたどり着く結論が「集団授業は嫌いだ」

 

 

昨日もまたそうやって頭を考えながら、色んな想いをめぐらせていた。

 

いくら主導権を持っていようとも、「どう感じるか」という自由を奪ってしまうのは違う。けど、「無意味」や「つまらない」を全面的に許すわけにもいかない。

 

私の授業に、私に、どんな感情を抱いてもかまわない。

 

けど、少なくとも80分の授業の間だけは、私の考えに参加してもらおう。めんどくさいやつまらないと思っていても、なにか1つでも使えそうなものを見つけてもらえるように、工夫をすればいい。

 

それが私が集団を楽しむ方法なのかもしれない。

 

それを今日の授業で試してみよう。それでもダメなら、また何か考えればいい。

 


正直、集団授業はあまり好きじゃない。
でも、こうやって感じたことを整理して、試して、検証して、そうやっていくことはすごく楽しい。だから結局、授業をすることは楽しいんだよなあ。

 

なんて、よくわからないところで、今日はおしまい。