のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

のっと ばっど らいふ

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― 平成30年8月21日。


平成最後の夏であり、私にとって20代最後の夏。
そんな夏に、私は1つの大きな決断をした。

 

振り返ってみれば、濃く、そしてとにかく生きづらい10年間だった。


いつも人の目を気にして、その癖、みんなと同じようにすることができなくて、そんな自分をどう扱えばいいのかわからなかった。だから、いつも何かに怯えていたし、常に自分か他人を攻撃していないと、得体の知れない何かに飲み込まれてしまいそうで、怖くてたまらなかった。

いま思えば、その得体の知れない何かとはきっと「私自身」だったんだと思う。



みんなと同じである必要なんてないのに、それでもみんなと違うことで悪目立ちしてしまうことが怖くて、みんなと同じでいられない自分を隠すことに必死だった。誰かに笑われるのが怖くて、誰かに認めてほしくて、必死だった。

そうやって失敗しないように、笑われないように、必死で生きてきたけれど、結局この10年、数えきれないほどの失敗をしてきたし、たぶん、知らないところで、数えきれないほどの人に笑われてきたと思う。

 


けど、これでよかったんだ。

失敗に怯えながら、でも結局、たくさん失敗して、たくさん傷付いて、たくさん反省して、たくさん恥ずかしい思いをして…でも、そうすることでようやく認めることができた。

 

私には「最高」なんて、似合わないということを。

 

「最高」かどうかは、人と比べないとわからない。自分が「最高」かどうかを確かめるためには、誰かの人生や誰かの考えが必要不可欠で、そして何より「誰か」を批評しないと「最高」は手に入らない。そうやって「誰か」を意識して生きる生き方は、窮屈で、人の目を気にしすぎる私には向いていない。

インスタ映えや誰かに憧れる人生がやっぱりかっこよくて、ずっと目指してきたけれど、私はそっちの世界では私でいられない。

 

 

毎日、職場と家の往復で、貯金も、彼氏も、もちろん結婚の予定なんてない。休みの日は泥のように眠るか、溜まった家事を片づけるか、仕事をするかで終わってしまう。こうやって書くと「ちゃんとしなきゃ」と多少は思うけれど、実はあんまり気にしてない。

インスタ映えもしないし、誰かに憧れるような人生でもないけれど、正直、こんな毎日が「悪くない」と思っている。

 

私は、誰かと比べて最高を目指すより、
今の自分にとって『悪くない』毎日を生きていくことが一番の幸せなのだ。

時々、あっちの世界が羨ましくなることも
こんな自分の毎日が恥ずかしく思うこともあるけとれど、
それでも、やっぱりこれでいいんだと思う。

だって、なんだかんだ、こんな毎日が愛しくてたまらないから。

 

 

最高を目指すのをやめたら、悪くない毎日が待っていた。
これからもずっと私は、この「悪くない」毎日を生きていこうと思う。
ポジティブでも、ネガティブでもない。強くも弱くもない。

 

そんなニュートラルな生き方こそが、私の等身大。
そこに少しの野心と少しの好奇心を時々プラスしながら、のんびり生きていこうと思う。

 

これが私の"のっと ばっど らいふ"の始まり。

 

愚痴りたくなる日もある

 

いいことじゃないって
わかっていても

 

よく誰かの悪口で
盛り上がったりしていた。

 


大人になった今も、
悪口や愚痴を
全く言わないなんて

 

そんな素敵な大人には
到底なれそうにないけれど

 

それでもやっぱり

 

時々愚痴を言いながらも

 

大好きな人たちだからこそ

 

楽しかったこと
好きなことを

 

たくさん話したいなと思う。

 

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待つということは、難しい。

 

 

恋愛でも
子育てでも
教育でも

 


「待つ」ということは難しい。

 


待つということは
信じるということだから。

 

信じられない人を
待つことはできない。

 

 

できていないことを「できていない」と言うことも
やらなきゃいけないことを「やれ」とやらせることも

 

実はそんなに難しくない。

 

ついついそうしてしまいそうになるけれど、
きっと別の方法があると思う。

 

「やらせる」教育より
「気付かせる」教育がしたいから。

 


自分の人生のためにやるべきことを
自分で気付ける

 

自分の人生を
自分の手で創っていける

 

そんな人になってほしいから。

 

 

だから、私は信じようと思う。

 

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忙しい日々だからこそ

 

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時間に追われて
色々なことが見えなくなりやすいから

 

忙しいときこそ

 

ゆっくりコーヒーを淹れてみたり
いつもより少し丁寧にメイクをしてみたり

 

なんだっていい。

 

1日の中で何かひとつだけでも
丁寧に暮らす時間をつくる。

 


それが私の心を亡くさないための工夫(^^)

 

届けたい言葉

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「ありがとう」

 

― それは、あまりに綺麗すぎて、私には不釣り合いすぎる言葉だ。

 

 

 

授業後や
少し遅くまで残って仕事をした日
誰かの仕事を手伝ったとき
生徒と面談を終えたとき

 

色んな場面でその言葉をもらう。
けれど、そのたびに私はたまらなく居心地の悪さを感じる。

 


授業も、仕事も、面談も、私にとっては当たり前のことで
何より、その対価としてお金もきちんともらっている。
それに、別にそんなに大したことをしていないのに・・・。

 

誰かがその言葉を私にくれる度、そんな想いが私の脳内を占拠する。

 

一方、そんな私の目の前にあるのは何の混じりけもない
感謝に満ちたあまりに綺麗すぎる言葉だった。

 

そのギャップに、たまらなく居心地の悪さを感じては
つい、苦笑いをしてしまう。

 


そんなだから、いざ自分が使う側に回っても
私なんかが使ってはいけないような気がして、飲み込んでしまう。

 

 

言われれば嬉しいし、
言いたいと思うことは多々あったのに、

 

言われるのも、言うのも、苦手な言葉だった。

 


綺麗すぎて、受けとることも使うこともできなかったその言葉。

 


いつの間にか、1番身近な言葉になっていた。
それから色んなことがどんどん上手くいき始めて、
きっとこれからも上手くいく気がしている。

 

これまで数えきれないくらい
自分を、人生を、変えたくて
色んなことをやってきたけれど

 

結局、変えてくれたのは、いつも"言葉"だった。

 

 

だから私は言葉に惹かれるし、
これまでたくさんの人たちがくれた私に言葉がそうだったように

 

誰かのきっかけになれるような言葉を届けられる
そんな人でありたいと思う。

 

 

そんなことを、昨日の上司からのLINEに書かれてあった
「ありがとう」の文字をみて、ふと思い出していた。

 

 

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不思議な予感のはなし

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午前中に病院に行こうと思ったけれど、
どうしてもベッドから出ることができなくて二度寝

 

出勤予定のギリギリに起きて、
昨日コンビニに忘れた日傘を取りに行く。

 

暑さに溶けかけながら出勤すると、
卒生が遊びに来てくれていて、
楽しそうに大学生活の話をしてくれた。

 

次のタームのテキストをつくって
上司とご飯に行く予定だったけれど、
なんだか身体がだるかったから延期してもらって帰宅。

 


それから、久しぶりにゆっくりご飯をつくって
テレビを見ながらご飯を食べる。

 


そんな、なんてことない1日を過ごしていると
なんだか不思議な予感がした。

 

 

「こうしたい」じゃなくて「こうなる気がする」

 

時々あるこの不思議な感覚。
まだ上手く説明できないけれど、だいたい当たるこの予感。

 


「なんだか来週はもっと、いい夏になりそうな気がする」

 


平成最後の夏は、まだまだこれから。