のっと ばっど らいふ

「最高」を目指すのをやめたら、「悪くない」毎日が待っていた。

今だからこそ。

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先日の大雨による被害がどんどん明らかになっていく。


被害の詳細から、救助要請、救援物資やボランティアの募集まで。ネットには様々な情報が、さまざまな想いと共に溢れている。

 

そして、それを見るたび、それらの強さ、大きさに、押しつぶされそうになる。

 

 

甚大な被害を受けた同じ県内でも、私の住んでいる地域はほぼ被害はない。一方で、被害の大きかった地域にある実家は土砂崩れにより、孤立状態に陥ってはいるけれど、人的被害はなく、家族の無事も確認できた。

 

だからだと言われてしまえばお終いだが、ネットで拡散される救援物資の受け入れややボランティアの募集を見る度、それまで無縁だった人たちが被災した人たちのために1つになっていく姿に尊敬や絆を感じながらも、どこか1歩ひいたところでそれを眺めている自分がいる。

そんな自分に気付く度、救助にいちはやく動く人たちと自分を比べては「所詮他人事」と思っているような気がして、自分の冷酷さに絶望した。

 

こんなことを言っても、言い訳にしか聞こえないのかもしれないが、それでも本当にこれ以上、被害が拡がらないことを心から祈っているし、自分にできることを精一杯したいと思っている。ただ、それが物資の支援やボランティアという直接的なものではないような気がしてならないのだ。

 

昨日まで当たり前のようにそこにいた人やものを急に失ってしまった人たちが大勢いる一方で、私自身も、家族も、直接的な被害を被らなかった。

 

だからこそ、やれること、やるべきことがあるような気がする。

 

「被災した」という現実と向き合い、そこに働きかける人たちがいるように
「被災しなかった」という現実を受けとめ、被災のない世界で今、自分がやれることを、精一杯やることこそが、自分のやるべきことのように思えて仕方ない。

 

決して多数派の意見ではないかもしれないし、称賛されるような選択ではないかもしれない。それをこうして文字にするのは、誰かの賛同が欲しいからか、後ろめたい想いへの言い訳のつもりなのかもしれないけれど、それでも、

 

「今だからこそ」前を向いて、この生かしてもらった命を、被災してないこの世界で、誰かのために使っていきたい。

 

それが私の素直な想いなのだから。

 

偽りたくはない。それでもまたきっと迷ってしまうだろう。
だからこそ、今ここに書き留めておこうと思う。

 

これこそが私の新たなステージの始まりとして。